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通信講座、[復刻に寄せて] の一文より抜粋。
真樹日佐夫
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Tボーンのステーキを焼かせての食事がスタートしてほどなく、 「空手バカ一代人気で、放っといても門下生は増えていくだろう。
梶原先生には足を向けちゃ寝られんが、しかし」と大山。
『週刊少年マガジン』誌に<空手バカ一代>が連載開始されて約一年、極真
会館への入門者は増加の一途を辿っていた。しかし――?」鸚鵡返しに梶原
に言いかぶせられて、「漫然と待ってはいられんのよう、性分なんだろうが」
「性分はわかるが、館長としてはだから、待つ間に何をしたいわけ?」
「通信教育」大山が言下に応じるのを聞いて、私は、(いろんな資格をテキスト
だけで学習し、居ながらにして取得する、あれ)アイデアとしてはなかなか、
と認めざるを得なかった。
「残念ながら我が組織には、全国的に見て未だ受け皿たる支部の数が足りず、
極真空手をはじめたいと思っても地方から上京するのは大変だしで、カバー
しきれとらんのが実状だ。支部増設を急ぐとして、それまでの間、人気にあ
やかり通信教育で繋げられれば――ということで先生にも真樹さんにも協力を
仰ぎたいのよー。急に閃いたもので、この通り」
ナイフとフォークを置いて低頭する大山を前にし、私と梶原は顔を見合い一も
二もなく頸を縦に振ったことであった。
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“強い男になりたい!きみが一度でもその夢を憧れを
いだいたならそのときから私の友だ!”
(大山倍達)
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とのキャッチフレーズを掲げ、完全システムの通信教育として開校したマス
大山カラテスクールの校長は勿論大山で、私は技術部長を拝命。講師陣には
大山泰彦、山崎照朝、西田幸夫、鈴木浩平らが名を列ねた。
スクール事務局を渋谷警察署隣のビル六階ワンフロアを占めていた梶原プロ
ダクション内に置き、またスクール実技道場としても同プロの一画を借り受
け、所用などで上京したスクール生が気軽に立ち寄って直接指導を受けられ
るように配慮した。
大山泰彦以下本部の黒帯勢が尽力して、豪華テキスト全七巻が完成し、年三
回、三月と五月と八月にはスクーリングの名の下に強化合宿も開催され……
で、北海道から沖縄まで、スクール生総数はピークの時で四万人にも上り、
その後の各支部の屋台骨をこの者たちで支えるに至ったのである。
梶原が逝って早十七年、この年は大山の十年忌でもある。空手界に原点回帰
の声が聞かれる今なればこそ、本テキストは時空を超えて見事再生を果たす
であろう、と確信する次第。――合掌!東京に桜が咲き初めし日に。。。
(文中敬称略)
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